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goo音楽熱すぎワロタwwwwwwwww

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1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 13:57:15.01 ID:eoXVNoSn0
http://music.goo.ne.jp/

アーティストの紹介文が熱いwwwww

 

2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:02:08.36 ID:eoXVNoSn0
ブルーハーツ

「主観を排してザ・ブルーハーツを語ることは難しい。
ブルーハーツは多くの人にとっての青臭い青春そのものであり、
あらゆるものの意味を説いた先生であり、夢であり憧れであり……、
なかには“彼らはオレの人生そのものだ!"と後ろ向きな意見をこれ見よがしに誇示する輩もいるだろう。
彼らの音楽を聴くと、ホロ苦くて切ない「アノ頃」の想い出が走馬灯のように頭のなかを駆け巡る。
まだ見ぬ恋人を想像してひとり興奮したこと、システマティックな社会に対して怒り、しかし敗北感を味わったこと、
怖いもの知らずで、理想の未来を想い描いたこと……。彼らほど若者の人生に影響を及ぼしたロック・バンドを、少なくとも筆者は知らない。
コーツとして活動していたヒロト(岡山県出身:法政大学中退)とかつてブレイカーズを結成していたマーシー(武蔵野周辺出身:多くのソロ作もリリース)が出会い、85年に組織されたブルーハーツ。87年リリースの実質的なデビュー・シングル「人にやさしく」は、無関心から熱情へ、破壊から再構築へ、逃亡から対峙へ、そしてネガからポジへの変遷を示していた。
そんな彼らが、局地的ではなく、全国的に熱烈なプロップを獲得したのは、88年の『TRAIN-TRAIN』からだろう。
深く、扇動的な詞世界、スター性溢れる歌声、マーシーによるシンプル&メロディックなギター・プレイ、そして(パンク・)ロック・バンドとしての存在感……。
それはなに物にも代えられない、聴き手の心を貫くような魅力でいっぱいだった。
90年代に入っても(つまりは初期3部作をリリースし終えても)、混ざり気のない純度100%なロック・アティテュードはそのままに、多様な音楽的アプローチで『BUST WASTE HIP』『HIGH KICKS』『DUG OUT』『STICK OUT』など、名作を次々にリリースしていったブルーハーツ。
メンバーのひとりが宗教活動に走ったため(?)、95年に惜しまれつつも解散。
しかし、偉大なる彼らの作品群は、今もなお猛烈な輝きを放っている。ヒロトとマーシーは、ザ・ハイロウズで活動をスタート後、05年11月に活動休止。現在はザ・クロマニヨンズとして活躍中である。」

 

3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:03:27.46 ID:VKWYyAbb0
へぇ(´・ω・`)

 

6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:06:47.66 ID:A2XwiNv50
ちょっと舐めてたわwww

 

4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:04:32.78 ID:eoXVNoSn0
ミッシェルガンエレファント

「聴き手をデッドエンドに追い詰めて首を締め上げるような、ガレージ・ブルーズ・ロックンロールを叩き出す4人組。
チバユウスケ(vo&g)、アベフトシ(g)、ウエノコウジ(b)、クハラカズユキ(dr)のメンバーで、96年「世界の終わり(1stシングルにはもったいなかったような気もする超名曲)」でメジャー・デビュー。
3つボタンの細身のスーツを戦闘服に、ガレージ/パンク/サイコビリー/パブロックといった音楽要素を丸呑みにし、韋駄天の如し8ビートナンバーを繰り出す様はただただ圧巻だ。
また無駄な脚色やリップサービスを一切省き、ひたすら演奏に邁進するライヴは、純然たるロックファンから狂信的な評価を得ている。
おまけに寝た子を叩き起こして、さらにみぞおちに蹴りを入れるような爆音ぶりも痛快。
どこか「任侠」や「男道」といったキーワードを連想させる硬派な彼らだが、実はラヴソングの傑作が多いことにも活目したい。
映画『俺たちに明日はない』や『ワイルド・アット・ハート』のような行き場のない恋の逃避行を描かせたら、チバの右に出る者はちょっといないだろう。
また、00年に発表された5thアルバム『カサノバ・スネイク』以降、喚起させる風景がぐっと変化したミッシェル・ガン・エレファント。
それまでの音景がイギリスの<石畳の2車線>だったとすれば、まるでアメリカの<延々と続くハイウェイ>へ移行したような–。
ともかく俄然、視界が四方八方へ広がった印象なのだ。
彼ら特有の緊張感はそのままに、新たな優しさと風通しのよさを掌握したといったところだろうか–。
形骸化しかけていた日本のロックシーンを、男気叙情と気合い(←彼らはよくこの言葉を口にする)で、再び着火させた功績はとてつもなくデカい。『LAST HEAVEN TOUR 2003』をもって解散。
03年10月11日、最後のステージとなる幕張メッセ公演は4万人近くを動員した。」

 

5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:06:05.79 ID:eoXVNoSn0
セックスマシンガンズ

「関西お笑い芸人か?それとも最強のヘヴィ・メタル・バンドなのか?
–全国にヘドバン(ヘッド・バンキング)旋風を巻き起こすSEX MACHINEGUNS。
演奏だけを聴けば、ハイトーン・ヴォーカルに流麗な速弾きツイン・リード、
疾走感溢れる2バス・ドラム、さらに、なつかしのジャパメタの美味しい部分がテンコ盛りされているが、
「HANABI-la大回転」「みかんのうた」など目にしただけでプッ!と吹き出してしまうタイトルはいかがなものだろう(笑)。
さらに、「コノヤロー!」「命の水だ。ポン・ジュース」といった直球勝負でアホな歌詞……には撃沈必至!!
だが、ケバケバしいへヴィメタ・ルックで「OLのナイト・ライフ」や「給食」といった日常生活のトピックについて歌ってしまうギャップこそが、
老若男女を巻き込む人気の秘密だろう。
03年に入り、衝撃の“第三期マシンガンズ解散"宣言。
8月13日、日本武道館における3時間半に及ぶステージで有終の美を飾った。
同年12月、リーダーのAnchangが“SEX MACHINEGUN"としてソロ・デビューを果たすも、
04年11月にはメンバーを一部入れ替えてまたまた“第四期SEX MACHINEGUNS"を始動、
ニュー・シングルをリリースしている。」

 

7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:07:46.69 ID:eoXVNoSn0
ブランキージェットシティ

「 ベンジーこと浅井健一(vo&g)、照井利幸(b)、中村達也(dr)という不動のラインナップによる奇跡のロッケンロール・バンド。90年、東京にて結成。
ロカビリーをベースとしたラウド&パンクなサウンドでたちまち人気を博す。
91年、アルバム『レッド・ギター・アンド・ザ・トゥルース』にてメジャー・デビュー。
日本屈指のリズム隊による骨太なグルーヴ、卓越した技術の裏付けによる繊細かつアグレッシヴなギター、 そして切なさつのる詞世界とメロディ–1stアルバムにして、孤高のオリジナリティを獲得するに成功した。
特に、暴力性と少年性が同居した凍える狼のような浅井の声は、当時から圧倒的な存在感を放っていたといえる。
その後も、『C.B.Jim』、『メタル・ムーン』など、彼ら独自の世界をより深化させた力作を次々とリリース、名実ともにトップ・バンドとなっていく。
また、98年には打ち込みサウンドを大胆にフィーチャーした意欲作『ロメオの心臓』を発表。
中村のダイナミズムに満ちたドラミングを排してまでも、新たなグルーヴを貪欲に獲得しようとする姿勢は、あまりに求道的で時に痛々しさすら感じさせた。
その後、メンバーそれぞれのソロ活動を経て、00年には『ハーレム・ジェッツ』を発表。
初期作品を彷彿させる、3人のポテンシャルが拮抗した仕上がりに、日本中のファンが歓喜の声をあげた。
がしかし、リリース直後の00年5月、解散を宣言。 日本音楽シーンにおいて、この損失はあまりにも大きい。」

 

8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:09:54.45 ID:eoXVNoSn0
hide

「X JAPANのライヴ中に設けられたメンバーのソロ・コーナーで既に、バンドの1ギタリストという枠に収まらない自己演出能力やアーティストとしての突出した才能を見せていたhide。
彼がソロ・キャリアをスタートさせたのは93年。
「最初は"どうせバケツの底を叩いたって買うんだろ"って思った」とは当時の彼の弁。
バンドの知名度を利用する気はまったくない。
むしろそれを取っ払ったとこで勝負したい、という純で潔い姿勢ゆえの発言だった。
彼のソロ・キャリアは、カラフルかつポップな2枚のシングル「eyes love you」と「50%50」でスタート。
アルバム、ツアー・ビデオなどコンスタントに作品をリリースする傍ら、"いいものは世に広めたい"という至極まっとうな理由でを設立。
"自分は彼らの単なるファンだから"とプロデュース流行りの昨今、才能あるバンドやデザイナーたちに何ら手を加えることなく、チャンスと活動の場を与え世に送り出す。
また、都内数ヶ所をリンクさせたオールナイトのクラブ・イベントを企画するなど、常に新しいアイデアを意欲的に実現していった。
自身の作品に関しても、マニュピレーターのI.N.A.と二人三脚で目指してきた革新的な音作りがシングル「pink spider」と3枚目のアルバム『ja,zoo』で1つの到達点に。
機械モノとロックの融合を目指したそのサウンドを自身はサイボーグ・ロックと呼んでいたが。
メロディアスなポップスから重量級のヘヴィ・ロックまであらゆるジャンルを内包したその音は、単なるミクスチャーの枠を超え、極めて魅力的で斬新なオリジナリティを擁していた。しかし98年、急逝。
ちょうど海外ミュージシャンと組んだバンドzilchも長い準備期間を終えてようやく稼働し始めていた–まさに全てがこれから、という時の出来事だった。」

 

10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:14:40.27 ID:eoXVNoSn0
バンプオブチキン

「96年、幼稚園からの幼なじみで結成された
藤原基央(vo&g)、増川弘明(g)、直井由文(b)、升秀夫(dr)の4人から成るBUMP OF CHICKENは、数々のコンテストを荒しまくり、99年3月に<ハイラインレコーズ>からデビュー・アルバム『FLAME VEIN』を発表、活動を本格化する。
続いて00年3月には2ndアルバム『THE LIVING DEAD』をリリースし、地道なライヴ活動の甲斐あって、着実に彼らの音楽が認知され始める。
(現在は2作品とも廃盤となり、再発盤が発売されている)。
当時、メンバー全員が弱冠20歳とは思えないほどの円熟味、安定感を感じさせるプレイが圧巻であった。
なかでも、フロントマンでありソング・ライティングを手掛ける藤原基央の存在が、このバンドを支えているといっても過言ではないだろう。
詩人の「山田かまち」を彷彿させる文芸的な歌詞、感情をストレートにぶつけたメロディ–それは過剰に生々しく、いたってリアルな世界を築く。言葉の弾丸を音の銃に詰め込みブッ放す……まさしくそんな感触だ。
因みにインディーズ~メジャーでリリースされている作品全てに隠しトラックが収録されている。00年9月、から1stシングル「ダイヤモンド」でメジャー・デビュー。
翌01年3月にはメジャー2ndシングル「天体観測」が55万枚を超えるビッグ・セールスを記録し、日本のロック・シーンを背負って立つ存在となっていった。
その後、02年2月には、本作を含むメジャー1stアルバム『jupiter』を発表、シングルとアルバムを通じて初のオリコン週間チャート初登場1位を獲得し、その地位を不動のものとした。
また、同年夏には、BUMP OF CHICKENの楽曲の世界観・メッセージをもとに制作されたフジテレビ系ドラマ『天体観測』が放送され、インディーズ時代の作品を中心に数多くの楽曲画使用された。
03年3月に、彼らが以前からファンでもあった『ONE PIECE』の映画『ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険』主題歌に、メジャー6thシングル「sailing day」が起用され、若者のみならず、下は幼稚園生、上は子供を持つ親までの様々な年齢層のファンを引き込んだ。
そして04年5月29日、彼らの地元でもある佐倉市民体育館にて完全招待制フリー・ライヴを行い、<スペースシャワーTV>で全国に生中継された。
(余談だが、このライヴの際、会場のヴォルテージが最高潮に上がった瞬間、体育館の底が抜けるというアクシデントが起こり、ライヴが一時中断した。)

04年8月には、藤原自身がジャケット写真を描いたメジャー2ndアルバム『ユグドラシル』をリリースし、本作もオリコン週間チャート堂々1位を獲得した。
06年3月には、藤原基央が書き下ろしたナムコの人気RPG『TALES OF THE ABYSS』用のサウンドトラック集『SONG FOR TALES OF THE ABYSS』をMOTOO FUJIWARA名義でリリース。
その後、山崎貴監督との出会いからコラボレーションが結実するタイアップが実現。
07年11月に公開された大ヒットを記録した映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』主題歌を担当。
映画の台本と仮編集映像を見て書き下ろされたメジャー13thシングル「花の名」は、 映画の素晴らしい内容とも相俟って、この年を代表する大ヒット・シングルとなり、 同時発売されたメジャー13thシングル「メーデー」と共にオリコン週間チャート初登場1位、2位を独占するとう快挙を成し遂げた。
07年12月、前作から約3年4ヶ月ぶりとなるメジャー3rdアルバム『orbital period』をリリース。
デビュー9年目にして今もなお、購買層を拡大し続け、また若者からの絶対的な信頼と指示を受け続ける。
このバンドが発信し続けるメッセージは、これからも多くの人々に大きな感動を与えるであろう。
それだけ彼らが創る音楽の影響力の大きさは計り知れない。
まさに、“時代が必要とした奇跡のアーティスト"–それがBUMP OF CHICKENなのだ。」

 

12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:16:15.26 ID:eoXVNoSn0
ハイロウズ

「日本音楽シーンにあまりに大きな足跡を残した青春ロック・バンド、ザ・ブルーハーツは95年に解散。
そして同年、主要メンバーであった甲本ヒロト(vo)と真島昌利(g)を中心に結成されたのが、このザ・ハイロウズである。
95年、アルバム『ザ・ハイロウズ』にてセンセーショナルに登場。
全体的には、あのブルーハーツ特有の音楽スタイルを踏襲しつつも(ヒロト&マーシーがいる以上当り前だが)、 詞世界は意味性より強度を重視したアッパーな内容に、サウンドは一層ハードかつタイトなモノへと変貌を遂げていたのだ。
–以降も、ロックに対する熱情がストレートに反映された快心作を多数輩出していく。
彼らほどリスナーの信頼を勝ち得ているバンドはそういないのではないだろうか?」

 

14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:18:29.07 ID:eoXVNoSn0
B'z

「日本人の好む音楽のタイプが2つある。
1つはハード・ロック/へヴィ・メタル、そして、もう1つはユーロビートだ。
それぞれの共通点はズバリ「様式美」であり、それは日本人の遺伝子の中に組み込まれている演歌のメロディを想起させるテイストが感じられることに由来するだろう。
もともと浜田麻里やTM NETWORKなどのバック・ギタリストとしてキャリアをスタートさせた松本孝弘が稲葉浩志と出会い、前述の2つの要素の融合をコンセプトに掲げB'zを結成する。
88年、シングル「だからその手を離して」とアルバム『B'z』でデビューを飾り、メタリックなギターと縦のりビートを主体としたサウンドを打ち出すが、ギターを全面に押し出したTM NETWORKといった趣に留まる。
しかし91年CMとタイアップによるシングル「LADY NAVIGATION」が100万枚を超えるセールスを記録し、大ブレイク。
ここに「哀愁感漂うメロディと様式美メタル・ギター・サウンド・ア~ンド・ユーロビートが合体した究極のメタル歌謡」が完成する。
その後、次々とヒットを連発するとともに新たなアプローチもみせ、R&Bテイストを取り入れた「love me,I love you」やAC/DCへのオマージュともいうべき「Real Thing Shakes」などでは、生楽器を積極的に導入し音楽的な幅を広げた。
そして、ヴォーカリスト稲葉の書くあきらめと期待の狭間を揺れ動くような歌詞、1小節に言葉を詰め込めるだけ詰め込むような手法、
さらに絡みつくよな粘り気のある唱法は、松本のギターと相まみえて最大の魅力となっている。
00年代に日本のヒット・チャートをハード・ロック/へヴィメタル・サウンドが席捲しているのを見るのは実に痛快だ。」

 

16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:22:01.77 ID:eoXVNoSn0
ガクト

「ヴィジュアル系バンド、MALICE MIZERのヴォーカリストとして輝かしい実績を誇るも、99年脱退。
同年5月には早くも、ソロ・アーティストとしてシングル「Mizerable」で華々しいデビューを飾った。
緩急自在の抜群な歌唱力、ポップな中にもダークさ漂うデカタン趣味のサウンドで大ヒットを記録。
また、その端整すぎるルックスからは想像もつかない、テレビ/ラジオにおける奇天烈な言動はお茶の間にも強烈なインパクトを与えた。
00年には、待望の1stアルバム『MARS』を発表。
その後リリースした作品でも、MALICE MIZER時代にみせたゴシック色は若干後退し、ハードロックを基調としたアグレッシヴ&ポップなサウンドを展開している。
以降の、音楽/映画/バラエティ番組/CM等々における快進撃ぶりは、もはや説明するまでもない。」

 

17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:25:22.01 ID:RbR81j5s0
バンポブチキンは随分長いね

 

18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:29:56.84 ID:eoXVNoSn0
>>17

筆者の主観がかなり強いと思う。
アイドル系には露骨にそっけない。

 

19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:31:53.93 ID:eoXVNoSn0
X JAPAN

「歴史に“もし"はないというが、このバンドが存在しなかったら、
90年代にミュージック・シーンを席捲したヴィジュアル系バンドのほとんどは存在しなかった、といっても過言ではない。
–超ド派手なルックスと、見掛け倒しに終わらない音楽性の確かさ、メンバーのキャラクターの立ち方も相まって、
空前のウルトラ・スーパー・バンドに成り上がったX JAPAN。
彼らのサウンドはヘヴィ・メタルに裏打ちされたもので、「紅」(89年)に代表されるような叙情性とスピード感が一体となったハード・ナンバー、「ENDLESS RAIN」(89年)を筆頭とする壮大なスケールのバラードが2本柱となっている。
メイン・コンポーザーはYOSHIKIだが、他のメンバーそれぞれの嗜好を活かした曲もアクセントとして機能。
–YOSHIKIの2バス・ドラムやピアノ演奏を中心に、HIDEのエキセントリックなギターやTOSHIのハイトーン・ヴォイスが融合され、渾然一体となったXワールドは、まさに“無敵"だった。
リリースされたオリジナル・アルバムは4枚(うち1枚は、YOSHIKIによるオーケストラ・アルバム)と少ないが、
そのサウンドがミュージック・シーンに与えた影響は絶大である。
その後、97年4月にTOSHIが脱退を発表、00年の再結成を告知した上で、97年のNHK紅白歌合戦を最後に解散した。

が、そんな矢先、98年5月2日にHIDEが急逝、これによりX JAPANの再結成は叶えない幻となった。
HIDEの死は、X JAPANというバンドを解散早々伝説化させる要因になったのだ。
YOSHIKIはHIDEの死を中々受け入れることが出来ず、再結成は無いと誰もが思っていたが、X JAPANが解散し10年、結成から25年、メジャー・デビューから18年が経過した07年10月、公式サイトにて『緊急告知』という形で活動再開が正式に発表され、新曲「I.V.(アイヴイ)」がハリウッド映画『SAW4』の全世界メイン・テーマ・ソングに抜擢、この楽曲でX JAPANは念願の全世界デビューを果たすこととなる。
この曲には、亡きHIDEのギター音をデジタル加工して使用するなど、紛れもないX JAPANの楽曲として制作された。
08年3月、東京ドームにて2Daysの復活ライヴ『X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V.~破滅に向かって~』を開催。
28日は「破壊の夜」、30日は「創造の夜」と命名され、「HIDEがいたときと同じ配置で行く」と改めて『5人のX JAPAN』によるコンサートであることが強調された。
復活公演以来サポート・メンバーとしてともに活動していたSUGIZOが6人目のメンバーとして正式に加入。
こうして、HIDEの命日でもある09年5月2日・翌日3日に、『6人のX JAPAN』による初公演となる『X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO ~攻撃続行中~』を敢行。
新たに加わったSUGIZOのヴァイオリンとYOSHIKIのピアノによるコラボレーションなど、6人編成になったことによる新しい要素も見られた。」

 

21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:37:00.33 ID:eoXVNoSn0
AKB48

「日本が世界に誇るアイドル文化。
その中でも数多くのメンバーで構成された、いわゆる<束物アイドル>の系譜は古くから脈々と続いている。
その元祖的存在のおニャン子クラブから約20年後、同グループの仕掛人だった秋元康の完全プロデュースによって誕生したのがAKB48だ。
このグループの最大の特徴は“会いに行けるアイドル"ということ。秋葉原に専用劇場を構え、ほぼ毎日コンサートを開催。
チームA、チームK、チームBと呼ばれるユニット各16名が交互に出演するというスタイルをとっている。
秋葉原というオタク文化象徴の地で、ファンとアイドルの交歓が日夜繰り広げるなど、独自の文化を形成した。
CDデビューは、06年2月のシングル「桜の花びらたち」。
以降も「スカート、ひらり」「制服が邪魔をする」など話題作を続々リリースしており、支持層は秋葉原の外へと拡がりを見せている。」

なにこの棒読み感

 

22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:42:17.41 ID:62pPQgaf0
マツケンwwwwwwww

「殿、すわご乱心か!?」と日本国中に衝撃が走った「マツケンサンバ」は、04年の音楽界のエポック・メイキングであった。
国民的人気俳優、永遠の若様・松平健は78年に『吉宗評判記 暴れん坊将軍』に主演して以来、03年までこのシリーズを続けてきた。シリーズと平行して上演されてきた彼の舞台公演のフィナーレで必ず歌われているのがこの『マツケンサンバ』である。
極彩色の着物を着た踊り子数十人が乱舞する舞台に、黄金の着流しと黄金の足袋であらわれ「オーレ!」とばかりにサンバを踊る健さまの姿は、寡黙で冷静な暴れん坊将軍のイメージしか知らない日本国民にものすごい衝撃を与えるものだった。
はにかみながらも(?)楽しそうに歌って踊る健さまに、こちらもついつい楽しくなってしまう。日本の伝統的な和風レビューの究極と言えるだろう。
もともと番組の挿入歌として「夜明け」「やじろべえ」など演歌調の歌を歌ってきただけに、歌唱力には定評がある。今後も、舞台で盛り上がる楽曲を次々と披露してくれるに違いない。

 

23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:47:43.85 ID:eoXVNoSn0
zeebra

「猛者ラッパーたちが犇くジャパニーズ・ヒップホップ・シーンを、マイク1本で血気盛んにサヴァイヴ、いやシーン全体を牽引している“鼻息荒いシマウマ"–それがZeebraだ。
Zeebraはイケイケなパーティ・チューンからハードコアなストリート・チューンまで、実に多種多様なトラックを巧妙かつ軽妙に乗りこなす。
そんな彼の最大の武器は、ドスを効かせたダミ声で押しまくる、一気に沸点に達するような熱血ラップ。
韻をテクニカルかつ執拗なまでに踏み倒すその猪突猛進たるハード・ラップで、Zeebraは否応なしにすべてのリスナーを圧倒してきた。

また繰り出されるリリックのすべてが実生活に基づいたものであり、悪名高き城南の不良時代/プレイボーイな側面/辛い幼少期の生い立ち……という多様なトピックを赤裸々なまでにさらけ出している。
また、そういった“ワル"を前面に押し出したスタンスは“和製ギャングスタ・ラッパー"そのものであり、彼の武勇伝に憧れる若きBボーイたちの胸をアツくさせる。

どうも最近はシーンのシンボリックな存在になってしまったようだが、言い換えればZeebraはもはや“カリスマ"なのだ。
そのライヴ・パフォーマンスにおいても重厚たる風格を感じさせ、任侠映画の兄貴よろしく、オーディエンスをグイグイとアジテートしていく。
もちろんその親分肌な気質により、若手ラッパーたちからの支持も厚いと聞く。
さまざまなミュージシャンとのコラボレーション及びマスメディアへの積極的な露出(最近はその演技っぷりも板についてきた)によって、
アーティストとしての実力とアクの強いキャラを一般リスナーにも強烈にアピール。

–今や、日本で最も忙しいラッパーとしてヒップホップ街道を全速力で爆進中だ。」

 

25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 14:57:32.54 ID:eoXVNoSn0
和田アキ子

「芸能界の女首領"ゴッド姉ちゃん"として君臨する和田アキ子。
TVやラジオ番組での歯に衣着せぬ言動は、芸能人を恐れさせ、視聴者からは喝采を浴びている。
68年に「星空の孤独」でデビュー。
以降、「笑って許して」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「古い日記」など多くのヒットを飛ばし、一躍スターダムにのしあがる。
ソウルやファンクといった黒人音楽をジャパナイズした歌謡R&Bとでもいうべきサウンドに乗せて、巨体の限りに咆哮、エモーショナルな熱気を凝縮したダイナマイト歌唱を聴かせた。
–まさに元祖ディーバ。

その後も、抜きん出た存在感でヴァラエティ番組に、CMに、映画にと歌手の枠を越えた活躍を続ける。
そして90年代に入ると、レア・グルーヴ・ムーヴメントと共に"ゴッド・オブ・レディ・ソウル"としての再評価が高まっていく。
98年の『DYNAMITE-A-GO-GO!!!』では、 彼女をリスペクトしてやまない小西康陽、ゴスペラーズ、GOTAといった気鋭ミュージシャン/プロデューサーたちを迎え、70年代風R&B~ブラス・ロック、ハウスといった意匠を施した最新鋭のダイナマイト・ソウルを披露した。」

 

26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:02:11.21 ID:ZCqAzerc0
かっこいいなww

 

27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:04:33.26 ID:eoXVNoSn0
水樹 奈々

「歌手/声優として高い人気を誇る彼女。
声優としてのデビュー作は1998年のプレイステーション用ゲーム『NOeL ~La neige~』門倉千紗都役。
その他『シスター・プリンセス』亞里亞役、『アリソンとリリア』アリソン役、『ロザリオとバンパイア』赤夜萌香役など出演作多数。
歌手としては2000年12月にシングル「想い」でデビューして以来、シングル/アルバム多数リリース。
2009年6月に発売された7枚目のオリジナルアルバム『ULTIMATE DIAMOND』で声優として初のオリコンチャート1位を獲得、更に7月に行われた西武ドームワンマンライブも大成功に収めるなど、声優アーティストとして名実ともにトップを走り続けている。」

やっぱりなんか棒読み

 

28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:07:47.06 ID:eoXVNoSn0
東京スカパラダイスオーケストラ

「“トーキョー・スカ"と銘打って超ハイ・テンション&ゴージャスなパフォーマンスを繰り広げ、その裏打ちサウンドで老若男女を興奮のるつぼに誘い込む東京スカパラダイスオーケストラ
–愛称“スカパラ"。

85年より活動開始。ゲリラ的な路上パフォーマンスやライヴハウス行脚を行い、90年にアルバム『スカパラ登場』でメジャー・デビューを果たした。
以降、『グランプリ』(95年)、『トーキョー・ストラット』(96年)、『ARKESTRA』(99年)といった名盤をコンスタントに発表。
豪華絢爛なホーンと地鳴りをたてんばかりのリズムが織り成す最高級グルーヴは、いかがわしいエロスとキマリまくりの男気満載だ。
また、強烈な殺傷能力をたたえながら、歌モノからインストまでを自在に手掛ける手腕は、さすが長年のキャリアに裏づけされている。
メンバーの加入/脱退、クリーンヘッド・ギムラ(vo)の死去(95年4月)、青木達之(dr)の不慮の事故による急逝(99年5月)といった不測の事態に見舞われながらも、シーンになくてはならない存在として邁進し続ける。」

 

29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:09:45.96 ID:eoXVNoSn0
PE'Z

「ストリート・ゲリラ・ライヴで人気を博し、インディーズ作品ながらデビュー・ミニ・アルバムは売り切れ店が続出した5人組ジャム・バンド。
ジャズをベースにラテン/ロック/パンクなど、さまざまな音要素を高度なミュージシャン・シップとインテリジェンスでミックスする。
しかし随所でクラブ・ミュージック的アプローチをみせるなど、あくまでも“踊れる"ことを主眼にした肉体派であることを主張。
ギター・ノイズやサンプリングによるフリーキーな演出もハマッており、緊張感を保ちながら躍動するグルーヴは、生演奏ならではの迫力を持っている。

02年4月、ミニ・アルバム『Akatsuki』にてメジャー・デビュー。あっという間にチャートを駆け上がり、アルバム『九月の空 -KUGATSU NO SORA-』やシングル「花咲ク DON BLA GO!」などがヒットしその人気は全国区に。
さらに、韓国でも精力的にライヴ活動を行うなどワールドワイドな活動を展開している。
05年には<ロードランナー>へ移籍し、より自由に、世界をまたぐ活躍ぶりを見せる彼らから今後も目が離せない。」

 

32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:22:42.26 ID:eoXVNoSn0
UA

「何にも邪魔されずに、のびのびと発せられるソウルフルな歌声。
UAから感じられる圧倒的な生体エネルギーの放出は、聴く者の胸にどっしりと重い情熱を落としていく。
95年、シングル「HORIZON」でデビュー。
96年にディーヴァ(歌姫)系プロデュースの先駆者、朝本浩文を迎え発表された「情熱」が大ブレイクし、 その後も「リズム」「悲しみジョニー」「ミルクティー」「歪んだ太陽」……などヒット曲を連発。
ジャニス・ジョップリンやアレサ・フランクリンなどに影響を受けたという彼女の黒っぽいヴォーカリゼーションが、
朝本や大沢伸一(モンド・グロッソ)といった敏腕プロデューサーの作るソウルやR&Bなどを内包した曲群のなかで、時に優しく、時に激しく鳴り響く。
また、いわゆるブラック・ミュージックのみならず、ドラムンベースやダブといったアグレッシヴなスタイルからフォーキー・サウンドまで、
次々に手をのばすフットワークの軽さは、獲物を狙う豹のような彼女の鋭いセンスによるものだ。

—スワヒリ語で「花」と「殺す」という意味をもつ「UA」。彼女の中にも、明快な部分と凶暴な部分が同時に息づいている。」

 

33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:24:42.16 ID:eoXVNoSn0
小島 麻由美

「小島麻由美猛烈にノスタルジックな香りを放つ天才シンガー・ソングライター小島麻由美。

彼女の音楽は“セピア色"という表現がとってもよく似合う。
それは95年の1stシングル「結婚相談所」から現在まで、まったくもって変わらない。
市井の人々の人生模様を描いた詞作。
危うい魅力を秘めた歌声。ジャズ/ソウル/フレンチ・ポップ/ラテン/昭和歌謡……と、さまざまな匂いを漂わせる芳しきサウンド。

それらが重なりあい生まれる絶対に唯一無比な小島麻由美的世界。–懐かしくも寂しい気分で胸いっぱいになるのだ。」

 

34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:27:19.81 ID:eoXVNoSn0
ASA-CHANG&巡礼

「タブラボンゴで会話する男、ASA-CHANG(朝倉弘一)。
「誰?」とお思いの方、04年夏ごろ放送された丸井のCMで、「丸井スパークリングセール」とタブラで語っていたお方ですよ。
ちゃんと聞こえたでしょ?

このASA-CHANG、実はデビュー直後からブレイクし、ヒット街道まっしぐらだった東京スカパラダイスオーケストラの初代パーカッション兼リーダー。
93年に脱退し、フリーのパーカッショニストとして活躍していたが、98年にギタリスト・プログラマーである浦山秀彦とASA-CHANG&巡礼を結成。
同年<トラットリア>から1stアルバム『タブラマグマボンゴ』をリリースした。
その後00年にインド大好き超絶タブラ奏者、U-ZHAANが加入しパワー・アップ、同年からフジロックに4年連続出場し次第に音楽ファンの注目を集めていった。
01年に驚愕的名作アルバム『花』をリリース、 翌年にはイギリスのレーベルからシングル「hana」、アルバム『JUN RAY SONG CHANG』を世界リリースし、レーベル始まって以来のビッグ・ヒットとなった。
02年に3rdアルバム『つぎねぷ』をリリース、クラムボンの原田郁子やレイ・ハラカミを迎えた意欲作となった。
05年、メジャー・レーベルに移籍し満を持して4thアルバム『みんなのジュンレイ』をリリースする。
声も楽器、をコンセプトに、言葉とタブラで語りかけるプリミティブな楽曲から、ロック、エスニック、クラブ系アンビエント・サウンドまで幅広いサウンドで聴くものを懐かしい、どこかあったかい不思議な空気で包んでくれる。
また、ASA-CHANGはUA、小島麻由美、ハナレグミ、Chara、MISIAなどのツアー・サポートやプロデュースなどでも知られ、その手腕も高く評価されている。」

 

35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:30:18.55 ID:eoXVNoSn0
怒髪天

「男汁1000%の本物骨太ロック・バンド、怒髪天。

R&E、すなわち「リズム&演歌」というまったくオリジナルな音を追求している。
ちなみに、ここで言う演歌とはスタイルとしてのそれではなく、あくまでもスピリットを指す。
人生という名の巨大山脈に裸一貫で立ちむかい、気合と根性と情熱でガシガシ登る
–そんな男精神と、パンク/アメリカン・ロック/和製フォークなどをギュッと圧縮したラウド・アーシー・サウンドが出会い、何とも汗臭くコクのあるグルーヴを生み出しているのだ。」

 

36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:38:57.07 ID:eoXVNoSn0
椎名林檎

「78年11月25日生まれ、福岡県出身の「自称・新宿系自作自演屋」。
M&LH(めし食ってラヴ・ホテルの意)発言に代表されるオトコのリビドーを駆り立てまくる過激な言動、抜群に美しい容姿、そして何よりも音楽家としての凄まじいまでの才能……
今までこんな娘に出会ったことがあっただろうか。

98年、1stシングル「幸福論」にてメジャー・デビュー。
猛烈な常習性をもち合わせた歌謡チックなメロディ・ラインが印象的な力作であったが、セールス的には不発で終わる。
がしかし翌99年、赤裸々なラヴ・ソング「ここでキスして。」のヒットをきっかけとして、1stアルバム『無罪モラトリアム』で大ブレイクを果たす。
持ち前のナイス・メロディ、強力演奏陣によるオルタナティヴ・ロック的な轟音サウンド、そしてすべての人間が抱える葛藤
–自己実現、恋愛やセックス、世知辛い社会への違和感、怒り–
を徹底的にリアルに描いた詞世界。それらは、あらんばかりの賞賛でもって迎えられる。

 

37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:39:30.49 ID:dR3uW0540
BUCK-TICK(ばくちく)

85年に、櫻井敦司(vo)、今井寿(g)、星野英彦(g)、樋口豊(b)、ヤガミトール(dr)の5人により活動を開始する。自主制作盤の発表やライヴ活動を 経て、87年に『SEXUAL×××××!』でメジャー・デビュー。
88年にリリースしたシングル「JUSTONEMOREKISS」が大ヒットし、BOOWYイズムの 第一継承者的な位置づけで人気を博す。
また、89年の3rdアルバム『TABOO』からは、それまでのイメージを一新するかのようなダウナーで ダークなサウンド・スタイルに傾倒していく。
その後、今井のドラッグ使用による逮捕でメンバー全員が半年間謹慎。そして、同年12月に行 われた東京ドームでのコンサート「バクチク現象」が43000人を動員し完全復活を果たす。
90年に発表したアルバム『悪の華』はオリコン初 登場第1位を記録。本来携えていた耽美的な世界観が一気に開花した秀作となった。
以降もコンスタントにアルバムをチャート上位に送り込 み、カルト的なファンを獲得している。
また、インダストリアル・ロックの要素を取り入れ、PIG(UKのインダストリアル・ユニット)とツアー を行ったりと、さらなるサウンドの開拓に余念がない。
90年代に始まったヴィジュアル・ロック・シーンの始祖としてだけではなく、日本に おけるゴスを通過したインダストリアル・バンドとしても評価が高い。

 

38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:39:52.07 ID:eoXVNoSn0

一方、本人の意思とは関係なくワカモノの代弁者的存在へとなっていった点も見逃せない。
そして00年には、椎名林檎のアイデンティティが凝縮された渾身の2ndアルバム『勝訴ストリップ』をリリース、200万枚を超すメガ・セールスを記録した。

完全に日本音楽シーンを制覇し、もはや国民現象と言われるまでになった彼女。
素直に喜ぶべき事態ではあるが、真摯でストイックな表現者であるが故の苦悩も尋常ではなかろう。
02年にカヴァー・アルバム『唄ひ手冥利~其ノ壱~』、03年には久々のオリジナル・アルバム『加爾基 精液 栗ノ花』をドロップ。
シンガーとしての類稀な能力をまざまざと見せつけた。
その後、デビュー前から彼女が切望していたバンド・プロジェクトとして東京事変を結成し、04年9月のデビュー・シングル「群青日和」でいよいよ本格的に活動をスタートさせた。
そして06年11月、椎名林檎×SOIL &“PIMP"SESSIONS名義で配信限定シングル「カリソメ乙女(DEATH JAZZ ver.)をリリース。
07年2月には、彼女が初の音楽監督に就任した映画『さくらん』をイメージして制作された4thアルバム『平成風俗』を発表。
実に4年ぶりとなるこの作品では、兼ねてから親交のあった斎藤ネコとの全篇に渡るコラボレーションが実現し、
総勢70人のゴージャスなオーケストラによる演奏曲も収録されており、
彼女にしか出来ないサウンド・アプローチによって唯一無二の才能を感じさせる最高傑作と評された。

08年7月、デビュー10周年記念アルバム『私と放電』とシングル・クリップ集DVD『私の発電』、伝説のライヴDVD『座禅エクスタシー』など、数々の記念作品をリリース。
08年11月28(金)・29日(土)・30日(日)の3日間、さいたまスーパーアリーナにて行われた10周年記念ライヴ『椎名林檎(生)林檎博'08~10周年記念祭~』を開催。10年間の集大成を披露した公演は3日間で延べ55,000人を動員。

09年3月、08年度の際立った業績、新生面を開いた活動が高く評価され、『文化庁主催平成20年度芸術選奨 文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)』を受賞。
同年6月、実に6年ぶりとなるソロ名義アルバム『三文ゴシップ』を発表し、オリコン週間チャート1位を獲得。
8月には映像作品集DVD『性的ヒーリング~其ノ四~』をリリース。他の追随を許さない唯一無比の世界を表現する音楽家として活躍中だ。」

 

39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:42:19.96 ID:eoXVNoSn0
CHARA

「68年生まれのシンガー・ソングライター。
彼女の歌のテーマは徹底して「愛」である。

90年のデビュー・シングル「ヘヴン」以来、それはずっと変わらない。
自由奔放な歌姫チャラが体験したさまざまな愛のカタチ。
すなわち、彼女を取りまくサークル(家族、恋人、友人、自然)を通して感じたこと……安堵だったり、孤独だったり、高揚だったり、エロティシズムだったり……。
それらをモチーフとしたリアルなメッセージは、ソウル/R&Bを消化したスウィート&メロウな極上メロディを媒体とし、リスナーの胸に突き刺さっていく。

名作揃いの彼女であるが、俳優である浅野忠信との結婚~出産を経験し、97年にリリースされた極めてパーソナルな6thアルバム『ジュニア・スウィート』は実に素晴らしい。
切なくもハッピーな響きをもつ至高の楽曲群は、ありのままのチャラが育てた「愛」の結晶ともいえるだろう。

–今もっとも信頼できる女性アーティストのひとり。」

 

40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:43:38.77 ID:dR3uW0540
MALICEMIZER

中世ヨーロッパを彷彿させるきらびやかな衣装、宝塚、いや紳士淑女たちが集う舞踏会のごとく荘厳かつ大仰なステージ、メンバーの強烈な個性……日 本音楽シーンにおいて、唯一無比のアイデンティティを誇ったロック・バンド、それがマリス・ミゼルだ。
92年、MANA(g&syn)とKOZI(g&syn)を中心に 結成。
ヴィジュアル系ライヴハウスの目黒鹿鳴館を拠点に活動、「悲劇の晩餐」と銘打たれたイベント・ライヴが好評を博し、着実にファンを獲得して いく。
94年には新ヴォーカリストとしてGacktが加入し、最強の布陣となった。
97年、シングル「ヴェル・エール・空白の瞬間の中で・」にて満を持し てのメジャー・デビュー。
シーンに熱狂的に迎えられる。翌年には、1stアルバム『merveilles』をリリースし、オリコン・チャート第2位を記録する。
ゴ シック・ロック風の刹那的で哀愁に満ちたサウンド、中世地中海の香り漂う耽美的な詞世界は、聴くものに猛烈なノスタルジーを呼び起こす。さらに、 全国ツアーにおいてもすべての会場が即日ソールド・アウト。

しかし、順風満帆であるかに見えた矢先の99年、Gacktが脱退、さらに追い討ちをかける かのように、Kami(dr)が急病によりこの世を去る。グループの存続が危ぶまれるなか、99年11月、シングル「再会の血と薔薇」で見事復活。
00年には Klahaをヴォーカルに迎え、作品制作にライヴ、映画出演と活躍をみせる。–が、01年をもって活動停止することを発表した。

 

41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:44:12.88 ID:eoXVNoSn0
ビョーク

「ビョークはどのジャンルにも入れがたい存在だ。
ジャズ・シンガーやクラスレコードのパンク嬢を経て、シュガーキューブスで国際的スターになった彼女だが、これはほんの序の口。

93年のアルバム『デビュー』から、カールヘインツ・ストックハウゼンのスコアにレイヴ・カルチャーを取り入れ、二つの音楽性の共存を実現。
その音楽は巧妙に作られ、明快でありながら、露骨な押し売りをしないものとなった。

ネリー・フーパー/ハウイー・B./アレック・エンパイヤ/プライドといったプロデューサーを迎え、さまざまな手法にトライしつつ常に最新鋭のサウンドを展開するビョークは、
メインストリームに突出し過ぎない、アーティスティックなポジションをキープしているといえるだろう。

また音楽の方向性を変化させても、彼女の声はさわりを聴いただけですぐにそれとわかる。
そして、「アーミー・オブ・ミー」で抑制された怒り、「イッツ・オー・ソー・クワイエット」で溢れんばかりの嬉しさ、「オール・イズ・フル・オブ・ラヴ」では無上の歓びを表現するなど、幅広い感情表現が炸裂する様も圧巻だ。

–彼女は常にユニークで完成度の高い音楽を作り続けるだろう。」

 

30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:13:29.47 ID:Ldh7yowj0
音楽通の会話ってこんなんだろ

「それまでの音景がイギリスの<石畳の2車線>だったとすれば・・・」

「すれば・・・?」

「まるでアメリカの<延々と続くハイウェイ>へ移行したような・・・」

「ともかく俄然、視界が四方八方へ広がった印象・・だな?」

「ああ・・・」

 

31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/27(日) 15:18:50.57 ID:eoXVNoSn0
>>30

ねーよwww

 

投稿者: viprob

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